Complete text -- "飢え渇き"

14 November

飢え渇き

今日、ある牧師先生がメールを下さいました。

「わたしの足元もそうですが、日本人は飢え渇きのもてない国民のようですね。働きさへすれば何とか食べていける!という現状にある故に、あえて命をかけ生涯をかけてまで、主の御業を求めようという渇きをもてないことは、ある意味、たまらなく不幸な気がします。(中略)先進国にトランスフォメーションが起こっていないと聞きますが、主の祝福が無くても?今で充分だ?と思っているのでしょう。」

オーティス師らによると、トランスフォーメーションが起こるためには、本気で主の訪れを待ち望み、祈り、行動する人が必要だということでした。たくさんでなくてもいい、いや、一人でもいいから、そういう人が出てこなくてはならないと。

日本や先進国のクリスチャンの中には飢え渇きがあまりないと思えますが、そのことに気が付いて、主に祈っている人がいることも確かです。そのような人が一歩踏み出すとき、トランスフォーメーションは起こり始めるのでしょう。

先の牧師先生は次のように書いて下さいました。

「FGBでの、この飢え渇きが本物として進められますよう、ひたすら祈っています。」

FGBの中から、トランスフォーメーションの鍵となる人が全国各地に起こされることを祈っています。私もそのような人にしていただけるように、皆さんと共に祈っていきたいと思います。

土曜日には神戸で祈祷会を持ちます。近くの方は、ぜひお越しください。

            ⇒昨日の「日々のひとこと」 へ

            ⇒トップページ へ


22:46:00 | president | | TrackBacks
Comments

北白川スー wrote:

日本のクリスチャンは、クリスチャンが増えることを願っていますし、日本がキリスト化されるように願っています。
しかし、日本がトランスフォームされるという出来事は、まったく質的に異なるのではないかと思います。オーティス氏の言によれば、宗教的になることではないということです。教会に集まる人が増えたとしても、それはトランスフォームでは無いのです。
教会にだけ主の臨在があるのではなく、地域社会に、なのです。日常生活のなかに神の臨在を知るということです。
「彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」第二歴代誌7章14節
日本では、リバイバルを祈り求めているグループは沢山あります。
今日もどこかで飢え渇いて聖会が実行されています。
そこでは、二人三人我が名によりて集まるなら、私もいる。という神の言葉に従って集まっているのです。
しかし、何かが違うのでしょう、何かが・・・。
11/16/05 12:55:17
Add Comments
:

:

トラックバック